日本現象学・社会科学会 第37回大会プログラム

会場:Zoomオンライン会場

大会参加費:会員無料、非会員500円(ただし大学学部生は無料です。)
【非会員の方へ】 非会員の方は事前に参加のお申し込み(500円の参加費の支払いを含む、ただし学部生は無料)が必要です。申し込みにはPeatixというサービスを利用します。下記URLから行ってください。
https://jspss2020.peatix.com/
参加申し込み期限は12月2日24時までです。大会のZoomURLとパスコードは大会2日前にお知らせします。

【2020年12月5日(土)】(会場:Zoomオンライン会場)

09:45 一般報告開場

10:00~12:15 一般報告 (→企画趣旨・概要

  10:00〜10:45 
司 会: 家髙 洋 (東北医科薬科大学)
 1 E.レヴィナスにおける〈顔〉の時間論的理解と〈時間からの疎外〉  
呉 先珍(東京大学大学院) 

  10:45〜11:30
司会: 青山 治城 会報103web用 (神田外国語大学)
 2 組織成員の組織からの離脱は組織変化への寄与となり得るか――N. ルーマン後期組織論における組織進化の観点から
 松井 怜雄(早稲田大学大学院)

  11:30〜12:15 
司会:榊原 哲也(東京女子大学)
 3 糖尿病手帳をつける経験の現象学的探究―自己血糖測定時のつぶやきを通じて―
細野 知子(日本赤十字看護大学)

12:30~13:30 委員会(※委員のみ)

13:40   総会開場

13:45~14:15 総会(※会員のみ)

14:30 シンポジウム開場


14:45~17:15  シンポジウム「現象学とエスノメソドロジーの現在」 (→企画趣旨・概要    
司会: 高艸 賢(日本学術振興会)
提題者: 
前田 泰樹 会報103web用 (立教大学)
池谷 のぞみ(慶應義塾大学)
浦野 茂(三重県立看護大学)
コメンテーター: 家髙 洋(東北医科薬科大学)

 

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企画趣旨・概要

【一般報告】

1 E.レヴィナスにおける〈顔〉の時間論的理解と〈時間からの疎外〉

 呉 先珍(東京大学大学院)

  エマニュエル・レヴィナスが倫理の原初的経験として措定するものは、「私」が〈顔〉としての他者と出会う瞬間であり、〈顔〉は常に「無限なものとして時間を開き、主観性を超越して支配する」(Levinas [1961]1971=2020: 249/403)。有限な存在者である「私」のエゴイズムと知的な理解能力に対して絶対的に外部的でありかつ倫理的な命令を下す他性として想定されるのは、時間そのものなのである。この考え方は、真木悠介の『時間の比較社会学』における近代人の〈時間からの疎外〉が、他者に対する個人の非依存性を核とする近代の病理と対を成すことに近接している。そこで本報告は、両者が重なり合う地点を描き出し、真木が自他関係の近代的病理として目撃するものを時間のレヴィナス的理解のうちに位置づけ、議論を深めていきたい。

2 組織成員の組織からの離脱は組織変化への寄与となり得るか――N. ルーマン後期組織論における組織進化の観点から

松井 怜雄(早稲田大学大学院)

  組織成員の組織からの離脱とは、成員が組織に対して何らかの不満を感じたことによって当該組織を離脱 したとしても、直接的に組織変化に寄与するものではない。しかし、離脱者がなぜ・いかに離脱したのかを組織が問うことは、成員を離脱せしめた組織の問題要因を明るみに出し、それによって組織変化を誘起させるかもしれない。
 本報告では、離脱者の存在を組織変化に活かすことの困難性とともに、かかる困難性を乗り越える道を探ることを目的とし、N. ルーマン後期組織論における組織進化の観点からこの問題に取り組む。


3 糖尿病手帳をつける経験の現象学的探究―自己血糖測定時のつぶやきを通じて―

細野 知子(日本赤十字看護大学)

  糖尿病治療では多数の病者が自己注射・自己血糖測定を行い、糖尿病手帳に記録して自己管理に取り組む。筆者は糖尿病者がその手帳をめくりながらつぶやく場面を見てきた。そのつぶやきは生活における血糖値の経験に迫る契機である。そこで糖尿病薬自己注射・自己血糖測定中の病者に血糖測定時につぶやきを書き留める“つぶやき記録”を依頼した。その記録を現象学の思考を参照して解釈し糖尿病手帳をつける経験を記述した。1型糖尿病のA氏は毎回の血糖値の横につぶやきを記録するようになり、月末には現在の薬剤量や血液検査の結果等を書くようになった。つぶやき記録をつける経験は、血糖値の専門的知識と日常の経験が組み合わされてA氏の因果的意味を増やしていくことであった。

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【シンポジウム】 「現象学とエスノメソドロジーの現在」                      

司会: 高艸 賢(日本学術振興会)

提題者: 前田 泰樹(立教大学)
     池谷 のぞみ(慶應義塾大学)
     浦野 茂(三重県立看護大学)
コメンテーター: 家髙 洋(東北医科薬科大学)


 ハロルド・ガーフィンケルが創始したエスノメソドロジーは、現象学と浅からぬ縁を持っている。「人々の方法論」を研究するというエスノメソドロジーの着想は、科学に先立つ生活世界への還帰を主張したエ トムント・フッサールの現象学から、多大な影響を受けている。ガーフィンケルの有名な「違背実験」は、日常生活世界における自明性の構造を主題化したアルフレッド・シュッツの現象学からの経験科学的展開としてなされたものである。人々はそのつどの相互行為を秩序立った仕方で遂行している、というエスノメソドロジーの基本的洞察は、現象学に基づいている。
 しかし、エスノメソドロジーが会話分析のプログラムを発展させるにつれて、現象学との関係は疎遠になっていった。ガーフィンケルの後継世代のエスノメソドロジストたちは、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインや日常言語学派の影響の下、人々の「見られてはいるが気づかれていない」方法論を会話データの精細な分析を通して明らかにしていくという方向性をとった。2019年の『社会学評論』70巻1号に掲載された「分野別研究動向」では、ガーフィンケル自身の立場の変化も踏まえつつ、エスノメソドロジーにおける「現象学的色彩の後退」が指摘されている。
 このように、エスノメソドロジーと現象学の結びつきは、一見するとかつてよりも弱くなっているように見える。しかし、近年のエスノメソドロジー研究の現場においては、現象学的伝統に属する思考から糧を得ようとする動きも活発に見られる。また、ダン・ザハヴィ『初学者のための現象学』(晃洋書房)でエスノメソドロジーが取り上げられるなど、現象学者の側からのエスノメソドロジーへの関心も高まりつつある。
 そこで本シンポジウム「現象学とエスノメソドロジーの現在」では、現象学とエスノメソドロジーの交差点で研究活動をされているお三方を提題者としてお招きし、現象学者とエスノメソドロジストとの協働可能性、両者が相互に学び合える点、問題関心の異同などについて考えたい。現象学者との共同研究に長年携わってこられた前田泰樹氏(立教大学)には、救急病棟の看護師を事例として取り上げつつ、知覚経験の編成をエスノメソドロジーがどのように記述するのかをご提題いただく。ガーフィンケルの「ワークの研究」に基づいて研究を行ってこられた池谷のぞみ氏(慶應義塾大学)には、記述の「ハイブリッド性」を軸に、現象学による問いをどのように展開する試みとしてエスノメソドロジー研究が捉えられるのかについてご提題いただく。精神障害や発達障害の当事者研究のエスノメソドロジー研究を行ってこられた浦野茂氏(三重県立看護大学)には、支援場面を事例に、経験を語るという実践についてご提題いただく。さらに、メルロ=ポンティやガダマーを専門とされる家髙洋氏(東北医科薬科大学)にはコメンテーターを務めていただく。


 (企画実施責任者:高艸賢)


各提題趣旨

共在のもとでの知覚経験——現象学とエスノメソドロジー再考

前田 泰樹(立教大学)

 報告者は、「現象学とエスノメソドロジー」(前田 2020)という論文で、経験の一人称性を強調する現象学の自己規定に対して、経験が「社会」的なものでもあることを論じた。そこでは、とくに感情を例にとりあげ、感情が何らかの規範のもとで理解可能になっていることを示し、続けて、私たちが共在する場面において経験される感情のあり方を例証した。本報告では、とくに共在する場面での知覚経験の編成について着目し、事例として、救命救急センター病棟における看護師たちの実践を分析する。病棟で鳴るインターホンの音を看護師たちはどのように聞いているのか、そのさいに何をどのように見ているのか、どのように行為を協調させているのか。これらの分析を通じて、複数の参加者が共在するもとでの知覚経験と相互行為の編成を探求するエスノメソドロジーのあり方を示す。

 

現象学にインスピレーションを受けたエスノメソドロジーの方向性——記述のハイブリッド性を中心に

池谷 のぞみ(慶應義塾大学)

 客観的事実の成立について、それを科学的方法論に基づいて説明する代わりに、それが現象としていかに 成立することで、そのように認識可能なのかを問うことに関心を持つという点においては、エスノメソドロジーはフッサールの問題意識を共有する。ガーフィンケルは晩年に「ハイブリッド性」概念を用いながら、あらためてエスノメソドロジーの記述がめざすべき基準を提示した。それは、対象となる現象において依拠される「状況的知識コーパス」に依拠した記述、そしてプラクシオロジカルな妥当性の基準を満たすことにより、その現象に関心を持つ実践者(研究対象者のみならず研究者も含む)にとって、「代替的な」ものを提示する。しかしそれは、これまでの選択肢にとって代わるような位置付けにはない。この記述のハイブリッド性を手がかりに、ガーフィンケルが人々による社会的秩序の産出の記述によって社会科学に何を提示しようとしていたのかを考察したい。
 

経験を語ることと道徳的問題——精神科訪問支援場面の検討から

浦野 茂(三重県立看護大学)

 この報告では、経験を語るということがどのようなことなのか、精神科関連領域における支援場面における事例にもとづいて考えてみたい。経験や生についてその言語的表現である物語を手がかりにして考えることは、哲学や心理学をはじめとする様々な領域で数多くなされてきた。またそれらの作業はこれらの現象の理解にとどまらず、対人支援上の技法などの応用的成果をも生み出してきた。しかしこれらを見るかぎり、物語に払われたのと同等の関心がそれを語る実践に対しても払われてきたとは言えない状況にある。そして言葉とそれが交わされる状況とが切り離しがたく結びついていることを踏まえると、ここには大きな欠落を見ることができる。たしかに語る実践を射程に入れるためには、一般化の難しい実践状況の細部を検討せざるをえない。しかしだからこそこの作業からは物語についての(そしてうまくいけば経験や生についての)具体的で明確な理解を得ることができるように思われる。この報告ではこうした考えにもとづいて具体的事例によりながら、経験を語ること(語り直すこと)にそなわる道徳的問題について考えてみたい。


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(c) 2020 Japanese Society for Phenomenology and Social Sciences