会場:東北大学(片平キャンパス) ※アクセス(新しいウィンドウが開きます))
大会参加費:会員無料、非会員500円(ただし大学学部生は無料です。)
09:30 受付開始
10:00~12:30 一般報告・午前の部 (→企画趣旨・概要)
12:30~13:30 昼休み・委員会
13:30~14:00 総会
14:15〜15:00 一般報告・午後の部(→企画趣旨・概要)
東日本大震災から七年が過ぎてもなお、震災に伴って起きた出来事としての津波と原発事故からの復興はまだその途上にある。原発事故の内実は、未だに明らかになっているとは言い難い。地震・津波の被災地域の復興の現状は、今やほとんど報道もされずなかなか知ることができないものとなっている。こうした状況から、震災記憶は風化しつつあるともいわれる。
こうした現状について、生きられた経験を問う学としての現象学は何ができるだろうか。現象学の根幹をなす「事象そのものへ」というテーゼがある。では、その〈事象〉とは何か。これまで、現象学が重きを置いてきたのは、〈一人称の経験〉と〈生活世界〉との関係である。東北について論じる際、その〈一人称の経験〉や〈生活世界〉について問う時、これまでの現象学の枠組みはどこまで有効なのだろうか。都市と漁村・農村で暮らす人々のそれはいかにして記述され、論じられるべきなのか。震災から7年が経過した今、震災以前からの東北の暮らしとそれ以後の時間的な連続性を踏まえつつこの点を掘り下げることを本シンポジウムにて試みたい。
そこで、本シンポジウムでは東北における暮らしの経験を聞き取り記録してきた三氏にご登壇いただきその実際についてお話を伺う。〈東北〉を研究テーマの中心に据え、歴史社会学をベースとしながら領域横断的な研究を進めて来られた山内明美氏には、南三陸をはじめとする沿岸部の暮らしや〈東北〉についてご提題いただく。高校の社会科教員教員であり、大学院で哲学・思想史研究をしておられる渡部純氏には、福島県の教員としてそして福島で暮らす者としての震災当時とその後、複層的な現実の諸問題の間における引き裂かれの経験についての提題をいただく。これまで現象学的社会学の知見を応用しながら差別問題について研究する一方、震災以降は被災地における外国出身者に関わる諸問題について論じてきた郭基煥氏には、震災直後から見られた「復興ナショナリズム」に対して、社会内のantagonism(敵対性)(ラクラウとムフ)の自覚に基づく「地域再生」の在り方について論じていただく。特定質問者の松本行真氏には、ご専門の都市社会学および被災地域の実地調査に携わられたご経験をもとに、三氏の報告へのコメントをいただく。以上から、フロアとの議論を通じて、震災経験の記憶と記述そのありかたについて問う場としたい。
(企画担当委員:郭 基煥 ・ 佐藤 靜)
東日本大震災の翌年、復興後の被災地視察のため、私は北海道奥尻町を訪れた。奥尻町は、1993年の北海道西南沖地震からすでに25年が経過している。そこで「奥尻は復興不景気が続いています。」と語ったのは当時の町総務課長だった。「復興不景気」-それは気持ち悪さと語義矛盾を孕んだ奇妙な言葉だった。
2012年にその言葉を聞いた時、それはそのまま、私たちの未来なのだと漠然と思った。莫大な国家予算が投下された顛末の、恐ろしいパラドックスである。
東日本大震災後の復興過程を経て、三陸沿岸部の生業/生活世界は壊滅するだろう。豊かな漁場が育んできた生業世界の三陸に、「後期近代」が直撃している。
南三陸の現場から、〈三陸世界〉を考える。
原発事故直後、私は福島市内の勤務校で避難所運営に従事しながら、放射能に汚染された居住地から避難すべきか否か不安と葛藤に襲われていた。しかし、真に恐ろしかったのは、事故が収束しないまま予定通り学校を再開するという決定が下されたときだった。異常事態のさなかに教え子を被ばくさせてでも正常化を図ろうとする動きに、教員としての私の心が引き裂かれたのである。当時の私は、被ばくの恐怖に周囲が沈黙する中、何をなすべきか必死で考え続けて格闘していた覚えがある。その私の心に何度も去来したのが、次のアーレントの言葉だった。「ここぞという瞬間には、それ〔思考〕がものをいって破滅を防ぐかもしれない。少なくとも自己の破滅だけは」。しかし、その格闘は自分の無力さと負い目を痛感させられるばかりだった。いったい危機において思考することなどどれほどの意味があったというのか。原発事故から7年を経た今、あらためてその意味を考えてみたい
ラクラウとムフによれば、一般に私たちが社会と呼んでいるものの中に敵対性がないことはあり得ない。災害は一般にそれまで不可視化されていた、この敵対性を顕在化させたり、新しい敵対性を構成したりする危機/機会でもある。一方で、東日本大震災以降、社会の統合性を強調する美名化の言説に溢れていた。また「通常状態」に戻ったあとも、社会内の敵対性の認識に基づく「闘技的闘争」(ムフ)を欠いたまま、コーポラティズム的な国家観が、その綻びを覆い隠すように国家間の敵対性を強調しつつ、政治の中枢から社会全般に広く浸透しているように見える。仮にこうした見立てが的を外していないなら、「被災地の復興」の担い手は「闘技的闘争」の「主体」であるような存在ではないか。中央やシステムと闘うパトスを産出するプロセスなくしては、復興される地域社会そのものが消失してしまうのではないか。