日本現象学・社会科学会 第33回大会プログラム

会場:大正大学(東京都西巣鴨)  ※アクセス(新しいウィンドウが開きます))

大会参加費:会員無料、非会員500円(ただし大学学部生は無料です。)

【2016年12月4日(日)】(2号館8階281教室)

10:30 受付開始

11:00~12:30 一般報告 (→企画趣旨・概要


司会: 青山治城 (神田外語大学)
11:00~11:45

     専門知への理論的アプローチ――H. CollinsとR. Evansの「専門知と経験に関する研究(Studies of Expertise and Experience)」プロジェクトの射程と意義について――
栗原亘 (早稲田大学大学院)

11:45~12:30
     被爆体験の伝承可能性に関する検討
徳久美生子 (武蔵大学)

12:30~13:30 委員会 ※委員のみ

13:30~14:00 総会(2号館8階281教室)

 


14:00~17:00  シンポジウム「『技術の道徳化』の可能性――現象学・社会科学からの考察」 (→企画趣旨・概要   

司会: 寺本剛 (中央大学)
提題者: 金光秀和(金沢工業大学)
鈴木俊洋(上智大学)
入江公康(立教大学)
討論者: 清家 竜介 (龍谷大学)

17:30~ 懇親会(会場未定)

        ※懇親会費(一般:4000円、非常勤:3000円、学生:2000円)

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企画趣旨・概要

【一般報告】

1 専門知への理論的アプローチ――H. CollinsとR. Evansの「専門知と経験に関する研究(Studies of Expertise and Experience)」プロジェクトの射程と意義について――

栗原 亘 (早稲田大学大学院)

 「専門知と経験に関する研究(Studies of Expertise and Experience)」(以下、SEEと表記)なる研究プロジェクトは、社会的ないし職業体系と知識の体系とを明確に区別せずに専門知の問題に接近しようとする諸議論に対する批判的観点から提起されたものである。すなわち、SEEは、単なる属性としての「専門家」ではなく、ある特定の知識獲得を達成した状態としての「専門家」を同定することができるような視点の確立を目指すものである。
 SEEが特に強調するのは、知識の「社会的」ないし「集合的」次元に着目することの必要性である。SEEは、例えばH. Dreyfusのような論者が、SEEと同様に知識の観点から「専門知」の問題に接近しているものの、その観点があくまで個人の次元にとどまっていることを指摘し、それを批判的に乗り越えようと試みている。
 本報告は、SEEが展開する以上のような主要な論点を確認しつつ、その射程と意義について考察するものである。

2  被爆体験の伝承可能性に関する検討

徳久 美生子 (武蔵大学)

 この報告の目的は、被爆体験を次世代へと伝承するひとつの可能性を、ある爆1世と伝承者たちの取り組みを通して明らかにすることにある。被爆体験をありのままに継承することは、現実的にもまた記憶の構築性から見ても困難である。そこで本報告では、広島市が実施している「被爆体験伝承者養成事業」に関わったある被爆1世と伝承者たちの取り組みを事例として、不可能性を超える被爆体験の伝承可能性を明らかにする。

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【シンポジウム】 『技術の道徳化』の可能性─現象学・社会科学からの考察                     

司会: 寺本 剛 (中央大学)
提題者: 金光 秀和 (金沢工業大学)
提題者: 鈴木 俊洋 (上智大学)
提題者: 入江 公康 (立教大学)  
コメンテーター: 清家 竜介 (龍谷大学)

 現象学を出自とする技術哲学はアメリカやオランダを中心に精力的に展開され、科学技術についての哲学的・倫理学的考察の分野において独自の議論を提供してきた。ごく大雑把に言えば、その基本認識は、技術が人間の活動を媒介し、人間の認識能力や行為の型、価値観にまで影響を及ぼすというものである。こうした考え方は技術と人間とを分離して考えがちな常識的な見方から私たちを解放し、科学技術との付き合い方についてより深い洞察をもたらしてくれる。
 とはいえ、現象学的な技術論は日本においてまだ十分に浸透しているわけではない。出版事情の問題もあってか、これまでこの分野のスタンダードな著作が十分に邦訳されてこなかったこともその一つの要因であると考えられる。こうしたなか、昨年ピーター・ポール・フェルベークの『技術の道徳化:事物の道徳性を理解し設計する』の翻訳が出版された。本書は多くの具体例にそくして読者を現象学的技術論の基本認識へと導くだけでなく、その基本認識に基づいて今後私たちが「技術に同行する」というかたちで技術と関わっていくべきであると主張している。この「技術に同行する」という考え方を新しい有効な戦略と見るべきか、科学技術の進展に対して正面から批判することを放棄した消極的な対応と見るべきか意見は分かれるかもしれないが、いずれにしても、こうした点も含めて、本書は科学技術に関わる人々に広く読まれ、検討される価値のあるものと思われる。
 そこで本シンポジウムでは『技術の道徳化』を題材として現象学的技術論の基本認識を共有し、フェルベークの「技術の道徳化」という主張やその戦略について現象学、技術哲学、社会科学の分野から検討を加えたい。まず、現象学的技術哲学の専門家である金光秀和氏に現象学的技術哲学の問いの立て方と今後の可能性とについて論じていただく。次いで、『技術の道徳化』を翻訳された現象学者の鈴木俊洋氏より、道徳の媒介理論が技術設計の民主化の考え方に与える影響とその問題点とをご指摘いただく。社会学の分野からは、入江公康氏にご参加いただき、ネットワークにおける「負荷」と「抵抗」、「遠隔化」という観点からフェルベークの議論をさらに展開していただく。
 本企画は現象学的技術哲学を科学技術について考えるための一つの観点として浸透させるとともに、厳しい批判によって鍛え上げることを目的としている。ぜひ多くの方々に参加いただき、忌憚のないご意見、ご批判を賜りたい。(企画担当委員:寺本剛)

各提題趣旨


現象学は技術をどのように問いうるのか                         

金光 秀和(金沢工業大学)

技術がますますわれわれの生活に浸透し、世界がいまや「技術によって織りなされた世界」(村田純一)である現在、少なからぬ哲学者が技術を議論の俎上に載せている。現象学も技術という事象に立ち向かってその本質を問い、またその問題性を浮き彫りにしながらあるべき姿を論じてきた。本提題では、シンポジウムの主題であるフェルベークの議論を含めて現象学的技術哲学の現状を概観しながら、それが現在どのように技術を問うているのかを確認する。その上で、現象学が技術をどのように問いうるのか、その可能性を論じる。

 

民主的な技術設計(の評価)はいかにして可能か                             

鈴木 俊洋(上智大学)

 フェルベークが提唱する「技術の道徳化」には「使用の文脈」と「設計の文脈」という二つの側面がある。特に、設計の文脈において技術を道徳化するためには、技術設計や評価に民主的プロセスを介在させなければならず、フェルベークはそのための具体的方策もいくつか提示している。本発表では、道徳の媒介理論の結論として、技術設計の民主化についての考え方がいかに変化するのかを考察した上で、その実現のためにいかなる方策や問題点があるのかについて論じる。

 

モノ、アニミズム、疎外        

入江 公康(立教大学)

 道具的連関、つまり「手元にあること」(zu-handen-sein)のネットワークや、そのアレンジメントの効果として「人間」があること--P.フェルベークは、ここからさらにモノの自律性にまで踏み込み、人間/非人間の分別を設けないハイブリッドな「非近代」というB.ラトゥールのテーゼから「技術の道徳化」を提示した。今回その成果を踏まえつつ、さらにそれを敷衍するかたちで、ネットワーク内部のある/にある「負荷」ということを捉えることによって、ネットワーク自体が召喚する/してしまうような「抵抗」という問題を論じてみたい。このことは、主体(subject)という問題をいっそうラディカルに考察することにつながる。そして、それと並行して、技術?道具的世界における内在/超越--「手元から離れること」「遠隔化」、あるいは「疎外」--という観点にまで射程を延長させて提起してみたい。こうした議論は、私見では、モノをアニメイトする視点--端的にいえばアニミズム--を織り込むことでより応用的かつ生産的な議論になると考えている。

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